2008/12/05

ラテアメ回想記「11月」その1

↑↑幾多の荒波を越える57代の漕ぎ手たち↑↑

これからお休みになる方も、そしてお目覚めになる方も…おはようございまーーす!!

実にしばらくぶりです!!
なんだかんだで忙しくも暇な毎日を生活しており、非常に更新を怠っておりました。申し訳ありません。

実家の母から「早くブログの更新をしなさい」とか急かされて早1ヶ月…このようにペンを取った次第でございます。
なんともまあ結構いろんなところでこのブログを読んでくれている人がいるらしく、特にラテアメ人の馬鹿親もとい親馬鹿さんたちは結構目を通してくれている方も多いようですこれはあまり下手なことを書かないように注意しなくてはなりません。
適度にお茶を濁し、且つ大胆で過激な文章を書くスタンスにこだわっていきたいものです

さて気がつけば前回の更新から知らぬ間に1ヶ月も経ってしまい、もう12月!!??
どうりで寒いはずです。。

毎週イベント続きで怒涛の勢いで過ぎていった11月を取り返すかのようにこの無更新期間を振り返ってみます!!実に根気のいる作業です、、、

何かとイベントの続いた11月。
1週目に早稲田祭
2週目に新定歓
3週目も新定歓
といった感じで寂しがりやのラテアメさんはいつも一緒にいましたね、、

さて回想記第1号となる久方ぶりの今回は、ご無沙汰中に行われていた新入生定着歓迎会(通称:新定歓)の模様を、無駄に民族学者のフィールドワークノート風にお知らせしていこうと思います ↓↓

11月8日、深夜。私は東京新宿地方の西北部、早稲田に住む、ラテアメ族の「ブシツ」と呼ばれる居住地に案内された。今日ここではこの部族で毎年霜月の週末に夜な夜な行われるという秘祭「新定歓」が行われるらしい。

簡単に説明すると、この秘祭はラテアメ族の若者(主に大学1年生前後)が誰しも経験する通過儀礼(イニシエーション)のようなものである。
それまでは「新入生」という括りで常世の神より命を授けられた客人(まろうど)としての待遇を受けていた彼らは、この儀式を境に無事に部族としての認定を受け先達と同等の人間として扱われることとなるのである。
儀式は部族の管理集団を中心に、子の刻から明け方までの間に祭儀と宴が混同して行われる。

この日、私が最初に目撃したのは、儀式の開始の声と共に祭祀場に入ってきた新入生たちに手渡された盃と、首に掛けられた祭具であった。ラテアメ族の古い言い伝えによるとこの祭具は、神から授けられた外来のあらゆる苦難や穢れの一切を祓って閉じ込めるための物であり、ラテアメ族のあらゆる儀式や宴で使われるものだという。
初めに年配者らに囲まれてその場に胡座した新入生たちの前に現れたのは、正装に身をくるめた酋長とその眷属たちであった。
↑↑ラテアメ族酋長とその眷属↑↑

酋長は代々部族の中で全ての分野において最も擦れた、もとい優れた人物が就くことが慣わしとなっている。酋長の合図とともに儀式が始まった。新入生の前方に作られた簡易の舞台では、常に神に捧げるための神楽のような祭礼が執り行われ、未だ半神半人である新入生を楽しませ迎え入れているかのようだった。
この儀式は新入生にとっての祝祭となる通過儀礼であるが、彼らにとってはいささか苦しい局面であるかのようにも見えた。
これまで神の申し子としての恩恵を受けていた彼らも、一人前のラテアメ族になるためにここで洗礼を受けなくてはならない。洗礼とは常に多少の苦しみを伴うものである。
新入生たちは祭儀の中で禊ぎをし、祭具に穢れを蓄えていった。ある程度穢れのたまった祭具は年配者によって特別な処置を施されて浄化され、新しい祭具へと交換される。まさに連携動作のなせる業であり、私はここにラテアメ族で独自に形成された一つの文化体系を見た。

神楽場ではあらゆる神話を模した祭儀が行われていた。「謝罪(贖罪)の儀」「料理の儀」「会食の儀」など複数の祭儀が行われ、同時進行で宴が進んだ。その間にも新入生たちは次々に穢れを落としラテアメ族の成人として迎えられていた。儀式を終え成人となった若者たちは別舎にて集い、共に荒波を超えた者同士で絆を深め合っていったのであった。

この日この儀式を最後まで耐え抜いた新入生の猛者は、長身手長の「ガイ」と呼ばれる青年であった。
彼は喜びのあまり新宿地方に木霊するほどの雄叫びをあげると、勇猛に崩れ去ったのであった。

以上がラテアメ族の秘祭レポートである。この秘祭は次週も行われるとのことらしく、新入生を祝う年配者たちの温かで不敵な笑みがこぼれていた。

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